明智光秀 天海

近年、「明智光秀=天海」説は裏付けとなるような痕跡が多く発見されており、決して「馬鹿げた説」の一言で片づけて良いものではなくなってきています(筆跡やかごめかごめ・日光東照宮の痕跡など)

織田信長を裏切った明智光秀と、徳川家康の参謀だった南光坊天海の同一人物だったのでしょうか?

この記事では、この説の信ぴょう性について詳しく解説いたします。

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明智光秀=天海説とは?

まずは通説(教科書で習う説)のおさらいから。

明智光秀といえば「本能寺の変」で織田信長を討ち、その後「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ死亡した、というのが定説ですね。

なぜ、「明智光秀=天海」という説が存在するのでしょうか。

その理由は、明智光秀の死に不明点がたくさんあるためです。

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「光秀の首」は確認されなかった

光秀は戦に敗れ、逃亡しているところを落ち武者狩りに殺されました。

しかし、季節は夏であったため首が傷んでしまい、しっかりと「これは明智光秀だ!」と確認できる状態ではなくなってしまったのです。

この事実が、「もしかしたら明智光秀は死んでいなかったのではないか?」という説が生まれるきっかけとなりました。

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南光坊天海とは?

有名な武将である明智光秀とは違い、南光坊天海についてはよく知らないという方が多いかもしれません。

南光坊天海は徳川家康の参謀として、江戸の街づくりに深く関わったり、朝廷や宗教への政策に深く関与したりした人物です。

「彼なしには江戸幕府の成立はなかった」といわれるほど、歴史の重要局面で活躍した僧侶といえるでしょう。

また、彼は家康の死後にも強い影響力を発揮します。

(家康に「東照大権現」という神号をつけたのも彼です)

しかし、天海には謎が1つあります。

歴史の表舞台に登場した時はすでにだいぶ年を取っており、それまでに天海がどのような人生を歩んできたかは定かになっていないのです。

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明智光秀=天海説の主な根拠

明智光秀の死がはっきりしていないこと、天海の半生が謎に包まれていること、この2つが合わさって明智光秀=天海説は生まれました。

しかも、この説はただの憶測ではなく、いかのような根拠が主張されます。

明智光秀=天海説の主な根拠


  • ①筆跡に残された証拠?
  • ②明智光秀の死亡と前後して天海の活躍が始まる
  • ③山崎の戦い後の比叡山への「光秀」による寄進
  • ④日光明智平を名付けたのは天海
  • ⑤徳川家康と明智光秀・天海の関係
  • ⑥日光東照宮の痕跡が明智光秀=天海を示唆している?
  • ⑦「かごめかごめ」は明智光秀=天海をほのめかしている?
  • ⑧春日局との面識があった

それぞれの根拠について、順番に見ていきましょう。

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①筆跡に残された証拠?

明智光秀=天海を示す証拠として示されているのが「筆跡」です。

現存している光秀と天海の書状を利用して筆跡鑑定にかけたところ、近親者の可能性が高いという結果が出ています。

ただし、残された書状を見る限りでは文字の癖に違いが見られ、このことから「光秀と天海は別人」とする意見が出されていることも、覚えておいた方がいいでしょう。

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②明智光秀の死亡と前後して天海の活躍が始まる

明智光秀と天海は同時期に活躍したことがない、というのも光秀=天海説の有力な根拠となっています。

明智光秀が死亡したとされるのは、山崎の戦いが発生した1582年です。

対して、天海という人物が歴史の表舞台に登場し、活躍を始めたのは1582年より後であり、この2人が同時期に活躍したことはありません。

たまたまという可能性もありますが、天海ほど優秀な人物がなぜ光秀存命時に活躍をしなかったか、気になるところですね。

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③山崎の戦い後の比叡山への「光秀」による寄進

光秀が山崎の戦いで命を落としたというのは、既にお話いたしました。

しかし、実は山崎の戦いの後で、光秀という人物が石碑を寄進したという事実が存在します。

石碑の寄進先はかつて光秀が織田信長の命で焼き討ちをした比叡山であり、関係の深い地であるのは間違いありません。

とはいえ、光秀という名前だけで「寄進したのは明智光秀だ!」と断定してしまうのは強引といえるでしょう。

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④日光明智平を名付けたのは天海

栃木県日光市には、「明智平」と呼ばれる地があります。

実はこの明智平という名前、名付けたのは天海といわれているのです。

わざわざ「明智」という名前をつけたのは、自分の正体が明智光秀であることを知らしめるため、という考えもあります。

ただし、天海として既に厚い信頼を得ている状態で、わざわざそんな危ない行為をとるだろうかという疑問が存在するのも事実です。

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⑤徳川家康と明智光秀・天海の関係

天海の正体が明智光秀だったとして、そんな人物を徳川家康が重用するだろうかと考える方もいるでしょう。

家康にとって光秀は同盟者である織田信長を討った相手であり、そんな人物を家来にするのはリスクが高い行為といわざるを得ません。

しかし、光秀が家康の尊敬する人物であったなら話は別です。

家康にとって光秀は戦国最強といわれた大名・武田信玄と並ぶほどの尊敬対象であり、家臣の水野勝成に対して「光秀に倣って行動するように」と命じていたというお話も残っています。

だからこそ、天海が光秀でありリスクがあったとしても、家康は彼を家来としたのでしょう。

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⑥日光東照宮の痕跡が明智光秀=天海を示唆している?

明智光秀=天海の根拠として、必ず挙げられるといってもいいのが日光東照宮に残された桔梗紋です。

日光東照宮とは家康を祀る神社であり、設計したのが天海といわれています。

注目したいのは、日光東照宮のあちこちに桔梗紋が存在すること。

桔梗紋は明智家の家紋であり、三つ葉葵を家紋とする徳川家とは関係ありません。

この痕跡が、明智光秀=天海である証拠だという説は根強く存在しています。

もっとも、桔梗の紋は明智家だけの家紋というわけではなく、清和源氏の子孫であれば誰しもが使用するものであるため、形式上は清和源氏の子孫である家康が桔梗紋を使用してもおかしくはありません。

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⑦「かごめかごめ」は明智光秀=天海をほのめかしている?

有名な子供遊びである「かごめかごめ」の歌詞が、明智光秀=天海をほのめかしているという主張があるのも注目です。

「鶴と亀がすべった」という歌詞は光秀がかつて統治していた「敦賀」と「亀岡」を、「うしろの正面だあれ」という歌詞は、光秀の出身地・岐阜から日光の方角を見たときのうしろの正面である本徳寺(光秀の肖像画を所持)を指しているといわれています。

そもそも、「鶴と亀がすべった」という歌詞は明治以降にできたものともいわれており、真実は定かではありませんが、こうした見方ができるのも歴史の面白さといえそうですね。

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⑧春日局との面識があった

大奥を作ったとされる女性・春日局と天海には面識があったといわれています。

それもそのはず、春日局は明智光秀の家来の娘であり、もし天海が光秀ならば知らないはずはありません。

一説では、江戸城にて春日局が天海に「お久しぶりです」というような声をかけたともいわれています。

もちろん、そうしたやり取りがあったという確たる文献はなく、あくまでも噂どまりであることは覚えておいた方がいいでしょう。

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明智光秀=天海説への批判

「明智光秀=天海説」を推す声は多いですが、同じくらい批判の声があるのも事実です。

具体的には、以下のようなことが指摘できます。

明智光秀=天海説への批判


  • ①年齢が不自然
  • ②明智光秀=天海を裏付ける書物が残っていない
  • ③明智光秀=天海に気づく人物がいない

批判の中身について順番にご紹介していきます。

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①年齢が不自然

明智光秀=天海を否定する大きな根拠となっているのが年齢です。

明智光秀が生まれたのは1516~1528年の間とされており、天海が死亡したのは1643年となっています。

つまり、光秀が天海だった場合、115~127歳まで生きていたということになるのです。

現在でも驚くべき年齢であり、流石に非現実的といえるでしょう。

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②明智光秀=天海を裏付ける書物が残っていない

ここまで明智光秀=天海説となる根拠をご紹介してきましたが、いずれも確固たる信頼性がないことにはお気づきかと思います。

もしも本当に光秀が天海ならば、それを示す動かぬ証拠となるような書物が1つくらいは出てきていいはずですが、何もありません。

深読みに深読みを重ねて何とか可能性が出てくる程度であることが、明智光秀=天海を否定する根拠といえそうです。

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③明智光秀=天海に気づく人物がいない

明智光秀といえば織田家でも非常に知名度の高い武将であり、同盟相手であった徳川家の人間であれば誰もが知っている人物のはずです。

もしも光秀が天海ならば、顔を見て気がつく人物がいないのはむしろ不自然といえます。

徳川家でそこに触れるのはご法度であっても、他家の人間が1人も気づかないということは、そもそも光秀と天海は別人であるということなのでしょう

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まとめ

今回は明智光秀と天海の同一人物説について解説いたしました。

明智光秀=天海説にはいくつもの根拠が存在しますが、どれもしっかりとした確証があるわけではなく、現時点ではあくまでも「そうだったら面白い」程度に留めておくのが正しいといえるでしょう。

とはいえ、歴史は新たな資料が発掘されれば一気に定説が覆るものです。

もしかしたら、いつの日か明智光秀=天海が常識となる日が来るかもしれませんね。

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